私達について

                

<私たちについて>

私たちアグロノームは、長野県東御市にてヨーロッパの品種を中心に、
日本では手に入りにくい珍しくて華やかそして美味しい野菜を、ほぼ無農薬で自然に育てています。

その方法は、化学肥料を使わず、地元の鶏糞や、牛の堆肥、シイタケの菌床をはじめ、自分で探して選んだ有機肥料を使い野菜の栽培をしています。→「自然栽培のススメ」へとぶ

更に、農産物の豊富な地元の風土を生かして、季節ごとのフルーツジャム、トマトジュースやトマトソースなども自分たちで作りご紹介しています。

私たちの町、東御市(とうみし)は日本ワイン生産の地としても、今新しく注目を集めています。

私たちが2006年に初めて植えたワインブドウの品種「ソーヴィニヨンブラン」は、初めのうちは近隣のワイナリーへワインの材料として卸していましたが、
2016年には初めて自分たちのブランド「Grandier(グランディール)」としてリリースし、その後も少量ずつですが、毎年紹介し、年々成長を続けています。

また、首都圏などからのアクセスも良く、自然の豊かな長野県へは、他県から訪ねてくれる方がたくさんいます。
そんな方たちのリフレッシュの場のひとつとして、農業体験を受け入れています。
普段と違う体験をすることで、体にも、脳にも、心にもたくさんの刺激をうけることでしょう!
土に触れるよろこびを、両手、全身から味わっていただきたいです。

 

農園主・自然体験指導者


宮野雄介(神奈川県出身)

やりたいことがたくさん。先を見据えてその未来のために今を生きています。

幼少のころに両親と始めた家庭菜園をきっかけに、育てること、物を作ることの喜びを覚えました。
学校帰りに家族の自由農園に水やりに寄っていたことや、誰に言われるでもなくクラスに花を飾ってた日々も、今から思えば自分らしい行動だったのかなと思います。担任の先生の道しるべのおかげで農業高校に進学。そこでも花卉班としてできることを、夢中で研究する日々でした。担任の先生や校長先生と仲良くしてもらい、変わった生徒だったのかな(笑)

その後、農薬や資材を扱う仕事に就きましたが、土から離れたのが原因だったのか体調を崩し退職。
その後二十歳になる頃、縁あって長野県東御市へ単身移住し、ワイナリーレストランの農園管理スタッフとして、西洋野菜やワイン用ブドウの栽培に携わることができました。
今でこそきれいなガーデンとして全国から多くの方が訪ねてくる場所となりましたが、その畑の開墾、ガーデンのデザイン、炭焼き小屋の作成、ビニールハウスの建築、機械の操作・直し方など、0から場が作られていく現場を経験できたことは、今でも本当に役に立っているし、若いうちに出会えた近隣の農業の大先輩からは、今は畑を貸してもらったりと。つながりと信用を得られたことは大きな宝になっています。
また、東御市ではワインブドウ栽培の先駆者となった玉村さんが、試行錯誤している時代に栽培に関してついて回ったり、野菜栽培に関しても、フランス産などの珍しい品種を育て、販売する経験もたくさん積みませてもらいました。

2006年、農園「AGRONAUME(アグロノーム)」として独立しました。
幼少期からアトピー体質だったこともあり、安全な野菜を口にしたい。作りたい。という思いがあり、化学肥料を使わず、地元の鶏糞や、牛の堆肥、シイタケの菌床をはじめ、自分で探して選んだ有機肥料を使い野菜の栽培を始めました。
また、現代の野菜は昔と比べて栄養価が低いといわれてる状況があります。そこに危機感を感じ、土の力を最大限生かし、味わいが濃く、個性の強い野菜作りにはげんでいます。(あるシェフからは味が濃すぎて難しいといわれたことも…)

スローガンは「challenge everything]
僕はものつくりが大好きです。0から作ることも、仕組みを知って修復することも、仕組みを作って効率化することも。
新しいことをするのも好きだし、思いつくことはいろいろです。
思ってもすべてができるわけではないですが、いつでもこのスローガンは僕の源にある考えです。

今ではアトピーに悩まされることもほとんどなくなり、僕の野菜を好きと言ってくれるお客様や、家族や子供たちに安全な野菜を食べてほしいと思い相変わらず試行錯誤しています。
たまに農業体験に来てくれた方や、畑を見に来てくれたシェフには「本当に楽しそうに農業を語るね」と言われます。
普段一人で作業をしているからなのかな?話し過ぎるようです(笑)
でも本当に農業は楽しいです。現代は緊張や責任を負いながら、土から離れた環境にいる人も多いですから、たまには農園へ遊びに来てください!
思いっきり全身の筋肉を使うことも、深く呼吸をすることも、身体は望んでいるかもしれません。
次世代までつなげていく大切な営みを、楽しみながら、自分にしかできないやり方で、続けていこうと思います!

  

 

宮野 智亜紀 (東京都出身)

目の前の心が動いたことを実行していく中で、感じて、選んで、流れてきた今。と、未知のこれから。
やってみることで次の景色が見えてくる、階段タイプ。

高校三年で進路に初めて向き合い、何がしたいか考えた末、美味しいものが好きという理由で調理師専門学校へ進学。
実習講義で着るコックコートがかっこよくてテンションが上がり、和食、西洋、中華料理の授業では今まで知らなかった様々な料理に出会いました。入学の決め手となったカクテル講座や、映画musicに合わせて、ハードボイルドに、ロマンティックに調理する先生のパフォーマンスなど、新しいことばかりで、刺激的な楽しい学生生活でした。

就職のタイミングでは、「いずれ日本人は和食に戻ってくる。」という謎の名言が頭に降りてきて、和食の道へ。
東京、神田のオフィス街の割烹料理屋で、厨房には親方と二人という硬派な環境で5年間修業。少ない人数で厳しかったからこそ、仕事面では全部をやらせてもらった貴重な時間でした。カウンター商売だったため、緊張感がありつつも、まるで自分の舞台のような感覚で、充実した日々でした。
親方との度胸試しで生きたドジョウを飲み込んだり、大暴れするすっぽんの首を捕まえて絞めたり、フグ調理師の試験に挑戦し資格を取ったり、「厨房は男の世界」と言われる分野にいた分、勝気で勇ましい時代だったかもしれません・・(笑)

硬派な時代が長かった反動で、おしゃれな街で働きたい。先輩や同期といった仲間が欲しい。という原動力で転職。
芸能人が来るような都会のお店での経験を積みながら、いろんな料理人の先輩方にお世話になった出会いは今でも財産だなと感じます。
叶えて満たされた思いもあったけれど、昼過ぎに出勤し、深夜帯にかけての勤務体制に変わり4年過ごす中で、あるきっかけで「これじゃ心と体がもたないな」と感じ、自然のリズムで生きたい。と、無性に自然を求めるようになりました。
長いこと調理に関わってきたけれど、普段扱っている野菜が育つ場も姿も知らない。知りたい。という気持ちが原動力になり、無農薬栽培の野菜セミナーへ参加したり、今後の道を考え始め退職。ご縁を頼りに大自然あふれる軽井沢へ移住し、農園を営むカフェにて季節バイトを始めました。

2005年単身長野県へ移住しました。
見渡す限りの空と、鮮やかに育つ果実や野菜の姿を見て、移住直後は仕事の合間にちょくちょく地元の直売所に行き、ジャムや果実酒つくり、天然酵母パン作りにはまっていました。季節バイトが終わったら東京へ帰ると思っていた仮住まいの部屋には、日に日にジャム瓶と果実酒の瓶が増え続け、これどうすんの状態でした(笑)

行ってみたかった、東御市の「VILAD’EST ワイナリー」へランチへ出かけた時にガーデンから見た風景と、厨房からコックコートを着たシェフがガーデンへやってきて、ハーブや野菜を収穫する姿をみて、「ここは楽園だぁぁ!!」と思いました。ワインブドウを育てて自分たちで醸造し、パンも手作りで料理は地元やガーデンでとれた食材で。その後の行動力でスタッフとして受け入れてもらえ、軽井沢の季節バイトを終えた後に東御市に移住しました。(保存瓶の引っ越しが大変でした^^;)

オーナーの玉村さんの作り出す料理のセンスや、知識、盛り付けの表現力と、この地で学びたいと県外から集まった熱いスタッフと過ごす日々はものすごく刺激的で、影響を受けて今まで行くと思っていなかったフランス旅行にも行ったし、知らなかった文化に飛び込んで見えた景色が刺激的で、人生の方向性ががらりと変わりました。その職場で出会った野菜作り担当の先輩が、のちに夫となりました。

この数年で、いろんな挑戦をして、出会って、学んで、足掻いて、今は少し自分のペースで。
なんでもやってみようと飛び込んだ時期もあって、何でもやるのはやめよう。と感じる今。
現実的な、やらなきゃならないことの責任に努力しながら、自分の気持ちや感覚も大切にして、流れ着く場に柔軟に。

現在は夫との農業生活の中で、全然違うタイプのお互いに、干渉しすぎず、寄り添って。
できることで手伝いながら、三男二女の子供達と、ドタバタとハチャメチャに過ごしている毎日です。